アンビリバボー カーネル・サンダース [日記]
アンビリバボー カーネル・サンダース
今日「奇跡体験 アンビリバボー」を見たのですが、カーネル・サンダース
が取り上げられてました。
ケンタッキーのカーネルおじさんとして有名ですね。
人形が道頓堀に投げ込まれたりしちゃったカーネルさんです。
でも、実はカーネル・サンダースって本名じゃなかったんですね。
しってました?
カーネルってもともと大佐の意味なんです。
え?サンダース大佐?
「小隊潰しの死神」のふたつ名 テリー・サンダースJr.軍曹とは
何の関係もありません(笑)
実はカーネル・サンダースさん。本名はハーランド・デーヴィッド・サンダースさんといいます。
でこのサンダースさん
幼いころに父親を亡くし、10歳ぐらいから農場で働きだします
なので、学校も14歳までしか行けてません。
その後、軍隊に入ります。で、ドンドン出世してついに大佐に!!
なってたら今のケンタッキー・フライドチキンは存在してません。
一年ほどで除隊しちゃいます。その後職を転々としてその数。なんと40職!
そして40歳のとき、ケンタッキー州のコービンでガソリンスタンドの経営を始めます。
その時何を思ったか、そのガソリンスタンドの物置の一角で6席のレストラン・コーナー「サンダース・カフェ」を始めちゃいます。
ここまでしか知らないとこのサンダースっておっちゃん。このままで大丈夫か?って話ですが・・・
この「サンダース・カフェ」の目玉商品が実はフライドチキンなんですね~
サンダースさんアメリカ南部の出身でして、「サンダース・カフェ」でも南部の郷土料理を出してたんですけども
中でも子供のころ母親がおもてなしとか特別な時に作ってくれたフライドチキンがあるんですけど。これが、ごっつ、うまかったんで皆に食べてもらいたいと思うようになりまして、思考錯誤の末に完成したのがあのフライドチキンなんですね~。
思考錯誤の甲斐あって「サンダース・カフェ」繁盛します。もともとガソリンスタンドなんで州の南北を貫く幹線道路である国道25号線に面してたのも功を奏して規模拡大していきます。
でそのうち「州の料理への貢献」が評価されて、
1935年に、ケンタッキー州知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を与えられるわけです。
なんで「カーネル・サンダース」なわけです。
その後、サンダースさんはですね、店が火災にあったり、高速ができて店手放したり、さんざんな目にあいます。ほんとに波乱万丈です。
でも、サンダースさんめげません。
店なくなっても大人気のフライドチキンのレシピを教えるかわりに歩合を得るという新しいビジネスモデル(フランチャイズ)をおもいつきます。
きっと、サンダースさん思いついた時、どや顔だったとおもいます(笑)
まあ、最初はうまくいくはずもなく散々でした。
それでも、サンダースさんあきらめません。ほんとガッツあります。
で
地道にフランチャイズビジネスの普及に努めます、そして時代の追い風もあってだんだん普及していき
現在のケンタッキー・フライドチキンになるわけです。
カーネル・サンダースさんすごいよ。
今度からカーネルおじさんの人形を見る目がかわるよ。
ちなみに。
そのフライドチキンのカーネル直伝の秘伝レシピは金庫に厳重に保管され、その金庫をあけることができるのは世界で2人だけだとのこと。
なんだかすごい話です。
今日「奇跡体験 アンビリバボー」を見たのですが、カーネル・サンダース
が取り上げられてました。
ケンタッキーのカーネルおじさんとして有名ですね。
人形が道頓堀に投げ込まれたりしちゃったカーネルさんです。
でも、実はカーネル・サンダースって本名じゃなかったんですね。
しってました?
カーネルってもともと大佐の意味なんです。
え?サンダース大佐?
「小隊潰しの死神」のふたつ名 テリー・サンダースJr.軍曹とは
何の関係もありません(笑)
実はカーネル・サンダースさん。本名はハーランド・デーヴィッド・サンダースさんといいます。
でこのサンダースさん
幼いころに父親を亡くし、10歳ぐらいから農場で働きだします
なので、学校も14歳までしか行けてません。
その後、軍隊に入ります。で、ドンドン出世してついに大佐に!!
なってたら今のケンタッキー・フライドチキンは存在してません。
一年ほどで除隊しちゃいます。その後職を転々としてその数。なんと40職!
そして40歳のとき、ケンタッキー州のコービンでガソリンスタンドの経営を始めます。
その時何を思ったか、そのガソリンスタンドの物置の一角で6席のレストラン・コーナー「サンダース・カフェ」を始めちゃいます。
ここまでしか知らないとこのサンダースっておっちゃん。このままで大丈夫か?って話ですが・・・
この「サンダース・カフェ」の目玉商品が実はフライドチキンなんですね~
サンダースさんアメリカ南部の出身でして、「サンダース・カフェ」でも南部の郷土料理を出してたんですけども
中でも子供のころ母親がおもてなしとか特別な時に作ってくれたフライドチキンがあるんですけど。これが、ごっつ、うまかったんで皆に食べてもらいたいと思うようになりまして、思考錯誤の末に完成したのがあのフライドチキンなんですね~。
思考錯誤の甲斐あって「サンダース・カフェ」繁盛します。もともとガソリンスタンドなんで州の南北を貫く幹線道路である国道25号線に面してたのも功を奏して規模拡大していきます。
でそのうち「州の料理への貢献」が評価されて、
1935年に、ケンタッキー州知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を与えられるわけです。
なんで「カーネル・サンダース」なわけです。
その後、サンダースさんはですね、店が火災にあったり、高速ができて店手放したり、さんざんな目にあいます。ほんとに波乱万丈です。
でも、サンダースさんめげません。
店なくなっても大人気のフライドチキンのレシピを教えるかわりに歩合を得るという新しいビジネスモデル(フランチャイズ)をおもいつきます。
きっと、サンダースさん思いついた時、どや顔だったとおもいます(笑)
まあ、最初はうまくいくはずもなく散々でした。
それでも、サンダースさんあきらめません。ほんとガッツあります。
で
地道にフランチャイズビジネスの普及に努めます、そして時代の追い風もあってだんだん普及していき
現在のケンタッキー・フライドチキンになるわけです。
カーネル・サンダースさんすごいよ。
今度からカーネルおじさんの人形を見る目がかわるよ。
ちなみに。
そのフライドチキンのカーネル直伝の秘伝レシピは金庫に厳重に保管され、その金庫をあけることができるのは世界で2人だけだとのこと。
なんだかすごい話です。